昭和と令和で変わった?発達障害に対する社会の認識
- Colorful Kids

- 2024年11月27日
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令和では発達障害という言葉をよく聞くようになりましたが、昭和では発達障害という言葉自体が日本に入ってきたばかりであまり聞き馴染みがありませんでした。
「発達障害」という言葉だけではなく、昭和と令和では発達障害に対する社会の認識も大きく違います。
そこで、昭和と令和で発達障害に対する社会の認識がどう変わったのか紹介していきます。
もくじ
【昭和】発達障害に対する社会の認識
■昭和には発達障害はなかった?
「発達障害」という用語がアメリカから日本に入ってきたのは、1970年(昭和45年)はじめです。
それまで「発達障害」という認識はなく、「劣等児」だったり「変わり者」という認識をされていました。
なので、「私たちの時代には発達障害なんてなかったよ」って感じる方がいるのは、発達障害と診断されている子供がいなかっただけで、実際には発達障害であったであろう人は昭和にもいました。
さらには、発達障害という言葉が広まっても間違えた認識や知識が横行していたんです。
■発達障害の間違えた認識
発達障害に対して間違えた認識がされていました。
例えば、コミュニケーションが苦手で一人で行動している人は「自閉症」と言われたり、発達障害の診断が出た子どもに対して「親がちゃんとしつけできていないから」「甘えているから」「性格が悪いから」と言われていた、などです。
周囲の人がこのような間違った認識をしていると、もしかして?と思ったとしてもなかなか病院に行きたくないですよね。
■昭和でも発達障害に対してメリットもあった
昭和では、なかなか生きづらい生活を強いられていたであろう発達障害もメリットも少しはあったと言われています。
それは、就職活動や仕事などです。
人とのつながりに対して令和よりも強く、義理人情で仕事を紹介することも昭和ではありました。
障害者雇用からではなく、知り合いからの紹介や人柄から就職を行ったり、時にはアシストしてもらうことも多かったのではないでしょうか。
また、デジタル化・機械化導入前だったので単純作業が多く、臨機応変に対応したりコミュニケーションが苦手な人でもできる仕事はたくさんありました。
こういった就職活動や仕事内容では、メリットとしてあげることができます。

【令和】発達障害に対する社会の認識
■発達障害の認知度・理解力は高まっている
昭和に比べて令和は、発達障害に対しての認知度や理解力は高まってきています。
しかし理解力は高まってきてると言えど、令和現在であっても十分に理解されているという状態ではありません。
発達障害による困りごとというのは多くある状態です。
■子どもを見る目が変わっている
発達障害に対して認知度が高まったことで、今までだったら「手がかかる子」で済まされていたけれど、何か気になることがあれば病院や教育相談へ相談する親が増えています。
また、教育の現場でもその子に適したサポートを行うためにも、意識して子どもたちを見ているでしょう。
発達障害を早期発見することで、正しい対応を行うことができ、当事者である子供やサポートする親も負担を少なくすることができるので、早期発見は大切です。
そのため、発達障害の人数は年々増加傾向にあります。
■発達支援が増えた
昭和に比べて理解力が高まり、発達障害に対する発達支援がより増えています。
学校では特別支援学級クラスがあったり、放課後等デイサービスなどの施設も発達支援の1つです。
発達障害の特性を自分の個性と考え、正しく向き合うことで、症状を軽減したり自分の良さを磨いたりすることができます。
しっかりとサポートを行うことで、社会生活の中で生きにくさを少しでも解消することができるでしょう。
■一般雇用、障害者雇用どちらでも就職できる
発達障害のある人が就職活動を行う際に、「一般雇用」でも「障害者雇用」でもどちらでも就職活動することができます。
しかし、障害者雇用で就職する場合は、精神障害保健福祉手帳が必要になるので、誰でもというわけではありません。
障害者雇用の場合は、給料が安くなる傾向があるので注意が必要ですが、障害に対して配慮がされていたり、一般雇用枠よりも就職しやすいです。

まとめ
昭和と令和の発達障害に対する社会の認識を比べると大きく変わってきています。
発達障害は甘えだという考えや偏見など間違った認識のあった昭和では、なかなか理解されずに苦しんだ人も多かったのではないでしょうか。
令和では、認知度も理解力も高まって支援も増えてきていますが、まだまだ問題は山積みです。
さらに、良くなるように、心穏やかに毎日を送れるように、お互いを正しく理解するためにも声をあげて支え合えるようにしていきましょう。



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